常寂光寺へ向かいます
小倉池から常寂光寺までは、細い小道が続いています。京都嵐山を感じられる道なのですが、車も通ります!最近は、電気自動車も多く、無音で近づくので注意が必要です!
常寂光寺とは?
常寂光寺は、慶長年間(1596年~)に創建されたお寺で、小早川秀秋公の助力し本堂や什物を寄贈されたお寺です。なお、先程の本殿は、伏見桃山城客殿を移築されています。おかげで、失われている伏見桃山城の一部ですが、うかがい知ることが出来ます。門構えは小振りです。山門から続く、山道が紅葉の坂道です。仁王門、本堂に続きます。
常寂光寺到着です
御髪神社から歩いて、10分程で到着出来ました。有名なお寺さんですが、山門は小さめです。なお、この門の横にある「勅願所」とは、勅命によって国家鎮護などを祈願した社寺だそうです。地図を見る限り、こちらのお寺さんの配置は、京都御所に向かい、一列になって立ってられているように見えます。(地図を見ただけですが…)
時刻は、9:28です。さすがにこの時間では、観光客の方が多く、人を映り込ませないように撮影するのは、ほぼ無理です。
なお、山門の左側にあるのは「展示場」なので、歴史的な物では無いのですが、小さいですが、作り込ん庭の”紅葉”が綺麗でした。(見ていく人もいないので、景色を独占できました)
山門の正面が仁王門です。山門から本堂まで直線ですが、仁王門からは、階段です。こちらの階段が撮影ポイントみたいです。人が居なくなる時間がありません。
本堂へ向かいます
しかし、本堂に続く階段にはカメラマンが…。横を見ると別の階段が…。人もいません!そちらから上に上がります。こちらは「末吉坂」と名前がついている階段です?名前に何か意味に興味を惹かれながらも、階段を進みます。こちらの周辺にも少なめですが、紅葉です。下から仰ぎ見れば、紅葉と苔が鐘堂を引き立てます!
本堂です。しかし、紅葉は日の当るところが中心です。やはり鐘堂周辺が進んでいるようです。山にあるから「山寺」と言ってよいのか分かりませんが、こちらは山の傾斜にあるお寺さんです。そのため、山の傾斜に木々があり、紅葉にも厚みも、紅葉部分と緑の部分コントラストも増して見えます。本堂から仁王門に続く階段は、相変わらず人の方が紅葉を上回っています。先に進みます!
多宝塔・展望台へ
本堂の脇の階段を上れば、多宝塔です。なお、本殿ですが、先程お伝えしたとおり「伏見桃山城客殿を移築」されたものです。本殿の裏側には庭があり、本殿の縁側に座って裏庭を観賞できる場所があるので、多宝塔帰りには、ぜひ休憩してください!
さて、多宝塔への階段です。普段は、階段は好きでは無いのですが、こちらの階段は坂を登るための物では無く、1歩ずつ歩けば景色が変ります。彦摩呂さんであれば、「歩く万華鏡や~!」と言われるような階段です。時よりこぼれる、紅葉の木漏れ日の中を進みます。モミジが多宝塔を守るように、染まっています。多宝塔の屋根が鳥が羽を広げているような印象を受けます。
多宝塔の上が展望台です。階段を進みます。階段の途中に「歌仙祠(かせんし)」です。中には、「藤原定家・家隆」木造が安置されているそうです。ここで、痛恨のミスです!「時雨亭跡」があるのですが、気づかずに通過してしまいました。後で調べると「小さな石碑」があったみたいです。石碑ですので、見てもどのような事も無かったかも知れませんが、何か妙に心残りです。
展望台に到着です。高さはそれほどありません。この高さが京都の上品さを表しています。多宝塔の大屋根ぐらいの高さです。京都市内も見えています。お気づきでしょうか?3枚目の写真の右端には「京都タワー」です。
しばし、紅葉に埋もれる「多宝塔」の景色でコーヒー休憩です。
展望台から降りて行きます。先程お勧めした本堂裏庭でお茶休憩です。普段は、コーヒー休憩ですが、この場所にはさすがに「お茶」です。
仁王門を見下ろしますが、相変わらず人、人です。私もその内の一人ですが…。門をくぐり、下ります。
丸い、穴の空いている石碑です。こちらが「定家山荘跡石碑」です。こちらに定家の山荘があったと言われている場所だそうです。諸説あるそうですが、諸説があって不思議の無い地域です。
二尊院を目指します
本来であれば、「二尊院」は目と鼻の先、お隣なのです。しかし、移動の途中に立ち寄りたい場所があるので、寄り道です。
あっ、龍馬さん
目的地の寄り道先に、たどり着く前に「龍馬さん」です?何故ここに?何でも、長州の人に会うために、天龍寺などに来ていたことから設置された物だそうです。「土佐四天王」です。
嵯峨天皇皇女有智子内親王陵墓
嵐山には、陵墓が多くあります。私も小さい頃は、よく遊んでいました。当時は、「ご陵さん」と呼んでいましたが、あちらこちらにあります。なお、陵墓内は立入禁止です!
西行井戸です
こちらが、お目当ての寄り道先です!
二尊院に向かう道からは、少し横道に入ります。何分にも京都のため、派手な案内はありません。(分かりにくいです)しかも、刻まれている文字が古くて、読みにくく、古い字体です。ご理解いただきますようお願いいたします。他でもありません!木札にあるお寺さんを「弘漁寺」と読みましたが、「弘源寺」でした。こちらのお寺さんは、天龍寺の塔頭で寺院は天龍寺の中です。こちらの場所は弘源寺の墓地になります。
石碑には、歌が刻まれています。歌碑の文字は読めましたが、西行法師の方は…?
西行井戸です。井戸の水の配管が残念です。
長神の杜公園
「五千円拾った後で 金曜日に花と洗剤を買い」私が、受験勉強で日本史の勅撰和歌集を覚えた語呂合わせです。正確のは忘れましたが、こんなような順番です。新古今和歌集から後撰和歌集、拾遺和歌集、後拾遺和歌集、金葉和歌集、詞華和歌集、千載和歌集そして新古今和歌集です。
他でもありません!これらの和歌の歌碑がある公園が嵐山には点在しています。こちらがその内の一つです。(写真の地図参照)
歌碑は、石に刻まれています。見落としそうです。いつからあったのでしょうか?私の子供の頃からあれば、多分乗って遊んでいたでしょう!今の年齢であれば腰掛けるには良い高さですが…。
ちなみに、こちらに立ち寄ったのは、歌碑を見るためでは無く、紅葉観賞のためです。みるからに公園には見えたのですが、道から見ていても紅葉が綺麗だったので立ち寄りました。歌碑の佇まいが、雅です。
近くて遠い、二尊院。寄り道したので、次回へ!